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彼女がどういう存在なのか、ボクにはどうもわからない。
ある日ある時彼女はふらっとボクの前に現れる。例えば図書室の本棚の間に立って、文芸書を立ち読みしているとき、駅の近くの路地を当てもなく歩き回っているとき、バスを待ってベンチに腰掛けているとき。それから今のように、単行本を読みながら喫茶店でコーヒーを飲んでいるとき。いずれのシーンでも共通しているのは、ボクが独りであるということだ。
ふと本から目を離して向かい側をみると、彼女がそこにいた。椅子に腰かけ、にこにこしている。ボクは少しビックリする。誰かが向かいの席に腰かける様子はなかったので、いつから彼女がそこにいたのか分からなかったこと、それから、彼女と邂逅するときはボクが先に彼女を見つけ声をかけることが多く、少なくともこんな唐突な対面は初めてだったからだ。
彼女と口を利くとき、ボクにはボクなりの心の準備が必要だった。目があってからも彼女が黙ってほほ笑んでいるのをいいことに、ボクはゆっくりと身支度をした。読みさしのページ数を確認し(ボクはしおりを持ち歩かない、あいにくこの本にはスピンがついていなかった)、本を閉じる。テーブルの上に置いておこうかと迷ってから、やっぱり鞄に仕舞うことにする。ボクがごそごそとしているのを、彼女は眺めている。その視線を受けて、ボクは戸惑ってしまう。なんだかカメラのレンズを向けられているようなこそばゆさを感じる。一点に集中しているのではなく、ボクを被写体とした全体の映像を、その目に焼き付けようとするような熱心さ。彼女は自分の興味を引き付けるものに対して、よくそういう目を向ける。例えば詩集の挿絵、錆びた看板の文字、幼稚園の園庭で幼児が遊ぶ様子、木陰から日がこぼれる風景。彼女が立ち止まってそれらを見るとき、ボクも同じ景色に焦点を合わせる。けれどその対象がボク自身ならば、一緒に眺めることはできない。
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