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箱庭の、或いは女の腕の話


女は砂に円を描いて、それを何重にも渦巻かせた。さざ波が広がる。類型的な石庭の光景に近しい。しかし、波の中心には何も置かれていなかった。
「腕がね、あるんです」
 とん、と己の人差し指を中心に突き立てて、女は言った。
「腕ですか」
「はい。この箱庭のスケールで言うと、こんな位の」
 手首を返し、親指と人差し指で空間を示す。ちょうど円の真ん中に収まるサイズを表した。
「腕と言うか、手首ですね。ううん、手首よりはもう少し長いかな」
 今度は左手で右手首の動脈をなぞり、七分袖のカットソーから素肌が見えるあたりにメスを入れるようなゼスチュアをした。
「指が長くて色が白い、滑らかな女性の手です。マネキンの腕みたいな。……あ、マネキンそのものではないんです。それぐらい完璧な手っていうか。それこそ保湿ローションのコマーシャルとかに出てくる、手の専門モデルさんの腕みたいな感じの、切り離された手」
「ほう……」
「お人形さんの手があれば、それを置くんですけどね。リカちゃん人形とかの。さすがに肘から先だけってのはありませんか」
「ありませんねぇ、すいません」
「いえ、いいんです。やっぱり手首だけがほかの体の部位と関係なく落ちてたら怖いですよね」
「恐いですか」
「怖いんじゃないですかね。京極夏彦さんの短編にもありましたけど、庭に唐突に女の腕が落ちてる。とくにそれが恐ろしいという描写はなくて、むしろ淡々としている。なんでそこに女の腕があるのかとか、それに事件性があるのとかどうとかという話では一切なくて。怖いというよりは不思議な話って感じでしたけど」
 女は話しながら自分の頬に手を当てた。曲げた肘にもう片方の手を添える。
「そういえば、切り離された腕の話と言えば、有名な作家の短編がありましたよね。川端康成でしたっけ?」
「『片腕』ですか」
「たぶんそれです。全集じゃなくて、アンソロジー形式の本でその一編だけ読んだんですけど、すっかり魅了されましたね。どきどきして、読み終わったときはほゥっと息をつきました」
 その時の感覚を呼び起こしたのか、女はうっとりした声でしゃべった。
「確か小川洋子さんの案内で読んだんですよね。小川さん自身の作品にも、女の腕がかかわる話があって……。いえ、彼女の場合は左手の指ですが。『薬指の標本』。あと速記者Yの小説も指の話でしたね」
 女は頬に手をあてたまま首をかしげ、うろたえたように目を伏せた。
「すいません、なんか関係なさげなこと勝手に話しちゃって……」
「いえいえ、かまいませんよ。むしろどんどん勝手に喋ってください」
 朗らかな笑いを向けられ、女も微笑んだ。
 しかししゃべりすぎたという意識が強いのか、表情がこわばり、視線がうつむきがちになった。両手は組まれ、指を圧するような無意味な動きが加わる。
「その『薬指の……』という作品はどんな話ですか?」
「ええっと、語り手の女性は働いていた工場の事故で、左手の薬指の先が少し欠けてしまったんです。そのあと標本技術士の弟子丸氏とともに標本室に勤めるようになって、その弟子丸さんと恋に落ちるんですね。……恋に落ちるっていうのかな? まぁなんかただならぬ関係に陥るといいますか。それで最終的に自分の左指を弟子丸氏に標本として捧げよう、って感じで終わるんです……、これもまた不思議な、幻想的な話です」
「なるほどなるほど」
「それから速記者Yの話は、語り手は女性なんですけど描写される指は男性のものです」
「おお、珍しいですね」
「でも字を書いたり、ホテルで食事をしたり、バイオリンを弾いたりと、武骨なごつごつした手じゃなくて、どことなく優雅でほっそりとした指ですね」
「ははぁ、そうですか」
 女は思案するような眼を自分の組んだ指に向けた。
「もっと男っぽい……筋肉質で毛むくじゃらな腕が落ちてたら、もっと怪異っぽくなるんですかね。鬼の右腕的な……。でも渡辺綱が切り落とした鬼の腕は女性的なイメージがあるんですが」
「確かあれは宇治の橋姫でしたね。嫉妬の鬼は女性のイメージでしょう」
「ああ、そうでしたか」
 話しているうちに緊張が解けたのか、女は再び饒舌になった。
「やっぱり眺めてて絵になるのは男性の手より女性の手ですね。伸びやかで、すらっとしてて、それでいてなめらかと言うか、硬質で無い印象がある。でも単に優しいとか軟らかいって感じでもないんですよね」
 女は組んでいた手をほどき、腕をあげてひらひらと振って見せる。
「まあわたしの手なんて大したことないんですけど。でもピアノを習ってて、今もある程度指が動くように弾いているおかげか、ちょっとすらっとして見えないこともないかな、なんて」
 女ははにかみ、指を曲げて爪をそろえた。
「あと自分の指で割と気に入ってるのが、爪の形。親の遺伝ですかね、同級生と比べっこしたときに、結構縦長のほうみたいだって気づいたんです。妹とはおんなじぐらいなんで、わからなかったんですよ」
「へえ、いいですね」
「家事に障るんで伸ばしたりはしないんですけれどね」
 女は再び頬のあたりに手を添えると、口をつぐんだ。ふっと何かを手繰り寄せるように視線を遠くにやり、まばたきを繰り返したあと、自ら沈黙を破った。
「その同級生の友達に……コトちゃんって子がいたんですけど、その子の手に触らせてもらったことがあります。戯れに手をつなぐって感じじゃなくて、本気で観察対象にする感覚で。なんであんなに興味シンシンだったのか自分で疑問に思うくらいに」
「ほう、いかがでした」
「まずわたしや妹の手とは全然違うなぁってのがあったんですよね。コトちゃんは背も高くて、結構ふくよかな体形で、大柄な子だったんです。手も肉厚で、爪が丸っこくて、肌も私より濃い色で。イラストを描くのが上手で手先も器用な子だったんですけど、指は丸まっこい感じだったかなぁ。あと指先の体温がわたしより低くて、冬場はよく暖をとられました」
「夏はその逆で?」
「どうだったかなあ、あんまり記憶にないですね」
 女は自然に微笑んだ。
「マッサージめいた指圧なんかも加えながらね、手のひらと手の甲の肌の違いを比べてみたり、人差し指と薬指、どっちが長いか調べてみたり。一回だけじゃなくて、数カ月にわたってずっと観察してたんですよね。ほんとなんでだろ」
 女は横髪を耳にかきあげながら首を傾けた。
「そのうえ、とくに彼女の手を鮮明に思い出すってことはないんですよね。わたしにとって手のイメージっていうと、ちょっとはかなげで透き通るような肌の、か細い女性の腕、なんですよね」


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