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04 (side:墓地)


 生国がどこであったかはもう忘れた。何やら莫迦に寒いところだったように思うので、ここよりずっと北方なのかもしれない。確かめる気はなかった。
 雨が少ない土地柄だったのか、雪もあまり降らなかったが、一度積もると三日か四日、暗がりならば一カ月でも凍りついた雪の塊が残っていた。今でも墓の陰に溶け残った雪を見つけるとそのことを思い出す。
 故郷のことを想起させる事柄はそれだけしかなかった。
 故郷を離れた理由も忘れた。きっかけのようなものぐらいはあったのだろうか。なかったのかもれぬ。
 家族がなかったわけではないように思うのだが、どうしてもその顔はおぼろで、やはり思い出せない。長い黒い髪を無造作に束ねた、細身の、のっぺらぼうの女が、心中に描く母の姿だ。いや、時折陽炎のように立ち上り、淡く結ばれるその像に、仮に母と名付けているにすぎない。どうでもいいことだ。
 さすらい人を気取っていたころは、むかしに思いを馳せることなどなかった。己の記憶を手繰り寄せるような真似をするようになったのは墓所に居つくようになってからだった。それにしたって掘り起こされる感情は薄く広がる煙のようなもので、懐古や郷愁と呼ぶには至らない。
「そりゃあ旦那は少々特殊なお人でございますからね」
 と先代の墓守は言う。
「なんせ生まれと育ちどころか、御年までも分からねェ」
「見た目は幾つに見えるんだ」
「三十路と言われても納得するが、十代の少年だ、つても通るね」
 まあ己れよりは年下に見えるわなぁ、と先代は続け、「見えただろうなぁ、か」と訂正した。
「今でも見えるだろう」
「いえ、今は自由がききますンで」
 先代墓守――の幽霊――はその身を透かす。元の濃さに戻った時には、禿頭の老人から年若い黒髪の青年になっている。
「ね、これで同い年くらいでしょう」
 ほぼ生者と変わらぬ存在感を表しつつも、どこか奇妙な青年は屈託なく笑った。発する声も張りと深みのある若人のそれなのに、聞き入れたものの耳にざらつきを残す。すべてが湿り、空気が煙る雨の中、彼の輪郭ははっきりしすぎている。右目を中心に頭部を覆う包帯だけが、白く周りに滲んでいた。
 若年の先代墓守は苔の張った木の根もとに腰かけた。確実に濡れているだろうそこに座るのは憚られたため、立ったまま幹に身を寄せる。鼻先にぽたりとしずくが垂れた。雨宿りに最適とは言い難い場所だったが、ねぐらにしている庵にしても雨漏りをして似たようなものだろうし、暗く狭い部屋にこもるよりは鬱蒼として見晴らしこそよくないが風がよく通る木々のもとにいたほうがいい。長い旅路の半分以上を野宿で過ごした経験から、身にしみてそう感じるようになっているようだ。
「その包帯――」
 ただでさえ薄暗い森は緑の色が濃くなったせいでさらに陰気を極めている。降り始めた時は雨脚が強くなるのが早かったので、通り雨ではないかと期待したのだが、この様子だと一晩でも降りやまなさそうだった。
「いつからしてたんだ」
「嫌ですよ、生まれつきだッて言ったじゃねェですか。どうせ忘れてンでしょうけど」
「ああ、そうか」
「旦那方のサガからすりゃ、致し方ないんでしょうけどね」
「サガ?」
「おや、違うンですかイ?」
 先代は左目でこちらを見る。片頬をひん曲げるようにして笑うのは彼の癖だ。先ほどの屈託のない笑顔とは違って、意地の悪さが見てとれる。
「旦那方ァむかしのことを覚えてられないンでしょう。生国のことだってそうだが、そんなむかしでなくともさ。昨日何食ったか覚えてても、一週間前に『食事をした』という事実を忘れっちまう。ある一族に続けてご不幸があって弔いにたびたび来ることになって、その面子に見覚えがあってもそれが昨日会った連中だが一か月前に会ったのだか、三年前に会ったのだかわかってねェ。忘れっちまうてぇよりは、一時一刻を積み重ねることができねェ、少なくとも兆のやつはそんなんだったな」
 先代墓守は今ここにいない先々代墓守の名を出した。兆と言う名のその女は、白銀の髪に玉虫色の瞳という特異な外見をもっていた。
 この俺と同じく。
「旦那は過去を積み重ねることのできないお人なんだ。良いとも悪いともいえねェけどさぁ」
 先代墓守が顔をそむけたので、こちらからは彼の表情をうかがうことはできなくなった。気がつけば彼の腕は老人のそれ――彼が息を引き取った時の外観――に移り変わっていた。


 墓守の話

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